過激化の原因は? 「モロッコ系」のレッテルと「テロリストを育てた町」

「モロッコ系」のレッテル
「モロッコがジハーディスト輸出」
2017年8月23日、フランスの日刊紙ル・モンドにこのような題の記事が掲載されました。
それは、1週間前に起こったスペイン・バルセロナでのテロを受けた、中東専門家のファルハド・ホスロハヴァル氏による論考でした。

2017年8月17日、バルセロナ中心部のランブラス通りでワゴン車が群衆に突っ込み、13人が死亡、100人以上が負傷するテロ事件が起きました。
このワゴン車を運転していた実行役とされているのは、モロッコ出身のユネス・アブヤクブ容疑者です。
スペインの警察当局はテロの4日後の8月21日、逃走中のアブヤクブ容疑者を射殺したと発表しました。

このころ欧州では、モロッコ出身者によるテロが相次いでいました。
2015年11月のフランス・パリの同時多発テロ、2016年3月のベルギー・ブリュッセルの連続爆破テロも、「モロッコ系」移民によるもの。
ホスロハヴァル氏の論考はそのことを指摘し、次のように記しています。



一方、2015年11月13日のパリ、2016年3月22日のブリュッセル、そして8月17日のスペインのような組織化された攻撃については、モロッコ出身者が最多である。フランスやスペイン、ベルギーを含む巨大な領域において、モロッコ人、とりわけモロッコの権力者に抑圧されていたアマジグ出身者のディアスポラが過激化の兆候を見せている。



「モロッコ人(中略)のディアスポラ」が「過激化の兆候を見せている」というように、テロリストを国籍や出身国と結び付ける論調は、当時は珍しいものではありませんでした。

バルセロナのテロの舞台となったランブラス通り(撮影は2018年6月)。


それに反論したのが、モロッコのメディアLe 360です。
ル・モンドの記事の2日後に、「バルセロナのテロ首謀者の過激化の責任はモロッコにあるのか」と題する記事を発表し、ホスロハヴァル氏を名指しで批判しました。

記事では、バルセロナのテロの首謀者とされるユネス・アブヤクブ容疑者をはじめ、実行犯グループにいた「モロッコ系」がそれぞれ何歳のときにモロッコを離れたのかを、詳細に記述しています。
たとえば、アブヤクブ容疑者については次のような調子です。



22歳のユネス・アブヤクブは、〔モロッコ〕中央アトラスの村ムリルトに生まれ、両親に連れられて7歳のときにスペインに渡った。ユネスは8月21日、カタルーニャ警察の弾丸を受けて死亡した。カンブリルスでカタルーニャ警察によって殺害された5人の襲撃者のうちの1人であるユネスの弟フサインは、4歳のときにスペインに移住している。アブヤクブ兄弟は、モロッコのどの学校でテロリストとして目覚めたのだろうか。年齢の高いほうでも、わずか7歳でモロッコを離れたというのに!



記事ではバルセロナのテロの実行犯らが生後6か月から10歳のあいだにモロッコを離れたことを説明し、「テロリストの過激化は、生まれ育った国ではなく教育を受けた国と関係がある」と語りかけます。
そうして、犯人の「モロッコ系」がことさら強調されていることを批判しました。



「テロリストの町」の衝撃

スペイン東部、カタルーニャ地方の町・リポル。



過激化の責任がどこにあるのか。
現在は、バルセロナのテロはホームグロウン型のテロ、つまり「自国民」によるものだとみられています。
当初「モロッコ系」に集められていた注目は、テロリストが育った町にも向けられるようになりました。

私は2018年7月、バルセロナのテロの実行犯とされるユネス・アブヤクブ容疑者が暮らしていたというスペイン東部の町リポルを訪れました。
バルセロナから電車で1時間半。
73平方キロメートルの町に、1万人ほどが住んでいます。
自然もあり、のどかな町。
それがリポルの第一印象でした。

モスクの近くに住み着く猫のために、餌の入った器が並べられている。



この町には1990年代にモロッコ人など多くの移民が流入し、50か国以上からの移民が暮らしているそうです。
イスラムのモスクも二つあり、そのうちの一つでお祈りを終えた30代の男性に、テロの起きた「あの日」のことを聞きました。

「テロが起きたとき、私は家にいたんです。テレビを見ていたらドリス(注・実行犯の一人、ドリス・ウカビル容疑者)が映っていて、あ、知り合いだ、と釘付けになりました。その後すぐにあちこちに警察が来て、家宅捜索をしていて……。とても驚いて、起きていることが信じられなくて。普通の若者だった彼らがそんなことをするはずがない。そう思いました」

男性はモロッコ北東部のウジダ出身の移民2世で、先にリポルに移住していた父に合流するため17歳のときにモロッコを離れました。
リポルでの暮らしは10年以上。カタルーニャ語を流暢に話し、モロッコで使われていたはずのフランス語は「もう忘れて、片言になってしまいました」と笑います。

リポルで暮らすモロッコ人は、みんなお互いに顔見知りだそう。
そんななか、テロリストとして知り合いがテレビに映ったことは、彼にとって大きな衝撃でした。

「過激化の原因は貧困の問題だと言われていますが、彼らはリポルでほかの人たちとも良い関係を築いていたし、経済的にも1,500ユーロは稼いでいたと聞きました。リポルは良い町なので、周辺化やレイシズムの話でもないと思うのですが……」

男性はそう首をかしげました。
最後に、自身もテロ直後に多くの取材に答えたという彼に、ホスロハヴァル氏の論考のような、「モロッコ系」にテロリストのレッテルを貼るような報道について聞くと、彼はこう話しました。

「メディアは商業主義に走ったのでしょう。そうして印象操作をし、混乱を招いている。テロリストがモロッコ出身だとしても、彼らは欧州で育っているのです。経済的な理由でモロッコを出て移民になり、そしてその先で何か要因があったのでしょう。モロッコは平和な、多様性と寛容の国です。私はモロッコ人であることを誇りに思っています」

エス・サーティがイマームを務めていたモスク。



のちに、アブヤクブ容疑者をはじめテロの実行犯らを「洗脳」したとして、リポルのモスクのイマーム(指導者)だったアブデルバキ・エス・サーティの名前が挙がります。
モロッコ出身の彼は2015年からリポルで暮らしており、主導者としてテロのための爆発物の製造に携わっていたと報じられました。
実行犯らの過激化の首謀者としてみなされている彼は、テロの前夜、アルカナーという町で起きた住宅での爆発で死亡しています。
男性はエス・サーティについて、「いたって普通で、物静かな人でした」と振り返ります。
善良な若者たちがテロを起こしたこと、そして物静かなモスクのイマームが彼らを洗脳したこと。
それはリポルにとって、大きな衝撃となりました。



1年後のリポルで

リポル市報(2018年7月号)に掲載された文化交流イベントの様子。


「この間、母が文化交流イベントでモロッコ料理を作った様子が、掲載されたんですよ」男性にインタビューをしていたとき、「そういえば」と彼が嬉しそうに市報を取り出しました。
ぱらぱらとめくって写真がたくさん並ぶページを開き、「これが私の母なんです」と笑顔。
これは「12か月、12か国」というイベントで、リポルに暮らす移民が自国の文化を紹介することを通して、多文化への理解を目指すものだそうです。

この市報の冒頭には、ジョルディ・ムネル・イ・ガルシア市長の「まず、カタルーニャの2017年8月17日のテロに際し、犠牲となった人びととその家族に、哀悼の意を改めて表明します。リポルはこの劇的な状況を受け、国際的な注目を集めています」というあいさつが掲載されていました。

2017年8月のテロから約1年。
市報によれば、リポルでは2018年7月、行政や専門家、住民が対話しながら多様性のある社会の実現を目指す「共生の新モデル」というプロジェクトが立ち上げられたそうです。

テロや過激化の原因は何か。そしてそれを防ぐにはどうすればよいのか。
それについては世界各地で多くの研究やさまざまな取り組みが行われています。
一人ひとりにできることについても、問われれば多くの答えがあります。
個人的には、国籍や出身地、居住地といった要因をもって決めつけるのではなく、構造やその背景を理解しようとする姿勢を忘れずにいることが最低限必要なのではないかと考えます。
みなさんは、どう思いますか?




2021年3月15日