「遅れてきたアラブの春」とモロッコの貧困

真っ青な地中海に面したモロッコ北部の町・アルホセイマで2016年10月、悲しい「事件」が起こりました。
ムフシン・フィクリという当時31歳の男性が、ごみ収集車に巻き込まれて死亡したのです。
男性は、現地では禁止されている流し網漁で採ったメカジキを販売していた魚売りでした。
当局に売り物の魚を没収され、取り戻そうとしたところ、ごみ収集車の粉砕機に巻き込まれたといいます。
その様子はインターネット上で共有され、SNSで瞬く間に広がりました。


モロッコ北部・アルホセイマの港。



この出来事はしばしば、2011年初頭から中東・北アフリカ地域で広まった「アラブの春」と並べて語られます。

アラブの春のきっかけとなったのは、2010年末にチュニジア中部の都市シディ・ブジッドで起きた、モハメッド・ブアジジという男性の焼身自殺でした。
彼は野菜や果物を販売する露天商でしたが、販売の許可を得ていないとして当局に商品や秤を没収され、暴行を受けました。
さらには当局からの賄賂の要求も受け、それに抗議するために自らに火を放ったとされています。
ブアジジの死をきっかけとした反政府デモの広がりは「ジャスミン革命」と呼ばれ、チュニジアだけでなくリビアやエジプトでも独裁政権の崩壊を招きました。

このようなアラブの春と似ていることから、モロッコでのアルホセイマの魚売りの死をきっかけとした社会運動の高まりは、しばしば「遅れてきたアラブの春」「モロッコの春」ともいわれています。

翌年の2017年12月には、モロッコ北東部の旧鉱山都市ジェラダで、廃坑で石炭を採取していた兄弟が死亡するという事故も起きました。
これに対しても、ジェラダでは社会・経済状況を訴える抗議運動が広がりました。

格差と貧困

アルホセイマの海岸には、夏は海水浴客が訪れる。


非合法の魚売りと、非合法の鉱夫。

禁止された漁で採った魚を売っていたから。
廃坑に入り込んで石炭を採取していたから。
あるいは、許可を得ずに露天商をしていたから――。

このように「非合法」であるという理由で、あるいは自己責任論をもとに、彼らに対する処遇を正当化する人もいるでしょう。

しかし、話はそれほど単純ではありません。
彼らの死に対する抗議運動がモロッコ全土に広がった背景には、人びとをそのような状況に追いやった格差と貧困の問題があります。

アルホセイマがあるリフ地方、ジェラダのあるオリエンタル地方には、モロッコにおける民族的マイノリティであるベルベル人が多く暮らしています。
前国王のハッサン2世が1980年代、ベルベル人を「未開人で窃盗団だ」と言及するなど、ベルベル人は社会的にも政治的にも差別の対象であり、周辺化された存在でした。

差別を解消するための試みは少しずつなされているものの、ベルベル人の多く暮らす地域では今も失業率が高く、貧困の問題が顕在化しています。
合法とはいいきれないインフォーマルな仕事をするのも、本人にとっては「生活の糧を稼ぐため」なのです。


モロッコ東部ウジダの旧市街。インフォーマルな露店が並ぶ。


モロッコでは近年、インフォーマル・セクターが40%以上を占めていると推計されています。
もちろん一概にはいえませんが、その多くは仕事が見つからず、インフォーマルな状態に追いやられた人びとです。
コロナ禍で状況が悪化するなか、そのような人びとのためになる政策が求められています。




2021年6月16日