容認された「密輸」

2018年5月、休暇で訪れていたスペイン領セウタから、徒歩でモロッコに戻ろうとしたときのことです。
国境検問所のあたりで、奇妙な光景を目にしました。
黄色いパーカーを胸元までまくり上げた男性の腰に、別の男性が手を回し、ビニールテープで何かを貼り付けていたのです。
目を凝らしてみると、それは女性用のストッキングの束のようでした。
それを身体に固定し終わると、男性はパーカーの裾を下ろし、身なりを整えます。
そしてそのまま、男性は国境検問所に向かって歩いていきました。

何だろう。
何しているんだろう。
いぶかしげに思った私は、男性の後をついていくことにしました。

服の下に商品を貼り付ける男性たち。



しかし、そこは国境検問所。
見るからに外国人である私は、スペインやモロッコの警察がいるたびに足を止め、パスポートを提示しなければなりません。
一方、その男性はずんずん進んでいったので、すぐに相手を見失ってしまいました。

悶々としながら歩いていると、ちょうど地図上で国境線を越えてモロッコに入国したあたりで、泣き叫ぶ声が聞こえました。
声のするほうに目をやると、通路の一角で、モロッコの憲兵が棍棒で男性を殴りつけています。
あれ、と思いました。
その男性も先ほどのパーカーの男性と同様、腰回りに商品を貼り付けているのが目に入ったからです。

両手で頭をかばい、泣きながら「アンファック」(アラビア語モロッコ方言で「お願いします」の意)と叫ぶ男性。
それを意に介した様子もなく、何度も何度も棍棒を振り下ろす憲兵。
そして何より驚いたのは、そのような光景に足を止めるのは欧州人観光客のようにみえる人たちや私くらいで、民族衣装を着た多くのモロッコ人が目もくれずに通り過ぎて行ったことでした。
立ち止まってすぐに、モロッコの警察官が、「ハロー」と笑顔で近づいてきました。
何が起きているんですか、と尋ねた私に、警察官は顔に浮かべた笑みを少しも崩すことなく、答えました。
「何も起きていませんよ。
さあ、モロッコはあっちです。
行きなさい」

容認された「密輸」
男性たちがしていたのは、セウタからモロッコに商品を運び込む「密輸」です。
密輸というと麻薬や覚せい剤、金なんかをイメージしがちですが、この国境地帯ではストッキングのような日用品が「密輸」の対象となっていたのです。

背中に荷物を担ぐ女性。



セウタやメリリャというスペイン領とモロッコの国境では、長年このような「密輸」が行われてきました。
通常モロッコの商業輸入に対して課せられる20%の関税を逃れるもので、「密輸」されるものはストッキングだけでなく食料品や衣料品といった商品です。
「密輸」にかかわるモロッコ人は、最盛期には運び屋など直接的には4万5,000人、間接的にかかわっている人びとも含めると40万人に上っていたといわれています。

運び屋の多くが、離婚や死別などによりシングルマザーとなった貧困層の女性たち。
十分な教育や職業訓練などを受けておらず、一人で子どもを育てるほどの収入を得られる仕事に就けない女性たちが、「家政婦などとして働くよりは稼ぎがいい仕事」として選んでいる実態がありました。
メディアでは、運び屋を荷運びに使われる家畜のラバにたとえて、「ラバ女」(femmes-mulets)とも呼ばれています。

冒頭の男性たちのように服などの下に商品を隠して運ぶ人もいますが、かつては背中に大きな荷物(最大100キロにもなるといいます!)を担いで運ぶのが中心でした。
そんな大きな荷物を運び、明らかに「密輸」だろうと分かるような状態でも、運び屋は検挙されることはまずありません。
それどころか、この国境地帯には運び屋のための専用通路までもが整備されていました。
また、専用通路を利用するにあたり、1日に4,000人まで、1人1日1往復まで、「密輸」できるものは食料品と古着のみ(新品の衣料品は禁止)、荷物の大きさは何センチまで、重さは何キロまで、背中に担ぐことは禁止でカートを利用するべき……といった「密輸」のルールが、当局によって決められていました。

女性たちがカートを利用して「密輸」品を運ぶ様子。



当局の定めたルールのもと行う「密輸」。
本来必要な関税を払っていないという点で合法的な行為とは決していえないものの、この「密輸」は事実上、国家の容認のもと、ひいては国家の管理下で行われていたといっても過言ではありません。
その背景には、政治的・外交的・社会的・経済的、さまざまな要因があります。
たとえば、セウタにとっては「モロッコ人が商品を購入して持ち帰る」ことについて違法性はなく、それどころか税収にもつながるので、禁止する理由がありません。
また、モロッコにとっては、直接的・間接的に40万人が「密輸」によって生活の糧を得ていたことと関税収入が得られないという悪影響を天秤にかけたうえで、前者を取っていたのではないかと考えられます。

運び屋として働いた女性
犯罪者というわけでもないけれど、合法とも言い切れない。
そのような不安定な状況にある運び屋に対しては、当局からの暴力や性的暴行、賄賂の要求などが横行していました。
また、自身が運んでいた荷物や群衆に押しつぶされて窒息するなどして、これまで少なくとも10人以上が命を落としていることが明らかになっています。

そのような死亡事故が2017~2019年ごろに相次いだこともあり、モロッコ当局は2019年10月、突如「密輸を根絶させる」と発表し、「密輸」を禁止することを発表しました。
その後、2020年3月からの新型コロナウイルスの流行により、セウタとモロッコの国境は閉鎖され、物理的に「密輸」ができない状況も続いています。
モロッコは代替案として、国境地帯に企業を誘致することで雇用を創出するとしていますが、コロナ禍により計画は遅れています。

「密輸」品を扱う露店が並ぶ大通り。



2020年3月にセウタとモロッコ国境地帯を訪れた際、運び屋として働いていた方の悲痛な声を聞きました。

「『密輸』ができなくなって、収入がなくなりました。
他の仕事も見つかりません。
パンを買うために7歳の子どものジャケットを売らなければならず、泣かれてしまったのがつらかったです。
光熱費が払えないとすぐ電気が止められてしまうので、光熱費を払うために冷蔵庫を売ってしまいました」

こう話すのは40代の女性で、離婚後、4人の子どもたちを育てるシングルマザーです。
6歳から出身地フェズの絨毯工場で働いており、十分な教育を受けられなかった彼女にとって、4人の子どもたちを何とか養える仕事は「密輸」だけでした。
しかし、「密輸」が禁止されてからは他に仕事を見つけることができず、明日のパンにも困る状態になったといいます。

国境地帯では、困窮を訴える集会やデモがたびたび行われています。
状況は改善されず、かつて「密輸」に従事していた人びとは今も苦しい状況に置かれています。




2021年6月22日