『日本語学』編集部から依頼があった。2012年のことである。同年11月に創刊30周年を迎えるので、日本語研究への想いを書いて欲しいとのこと。
 振り返れば、学生の頃『言語生活』(筑摩書房)や『言語』(大修館)があって、それらから多くを学んだだけでなく、研究の成熟度を世に問う場にもなってくれた。やがて『日本語学』(明治書院)が刊行され、いずれも競って学会誌に引けをとらない論文を送り出した。学会誌は学会員が書く権利を持つ。しかし『言語生活』や『言語』、『日本語学』は読者が料金を払って研究者の智を購読する。編集者には生活や家族もあって、それを担保として大家の智を購読者に提供する。だからこれら三誌は学会誌より質の高い論文を毎月送り出している、と教えられたのもこの頃である。
 その後『言語生活』が廃刊となり『言語』もまた同じ途を選んだ。両誌の知的刺激で育っただけに残念だ。そんな中、『言語』編集部が『言語』セレクションを刊行した。廃刊までの38年間に送り出した17.084論文から選び出した122本を紹介している。会員誌にはできないことを示した準学会誌としての標と思って読んだ。『日本語学』の30周年の企画もまた、学会誌にはできない学界牽引の標を準学会誌として示そうとしているのだと思った。
 そこで同依頼には、私のいま重点的に行っている研究の背景にある考え方を記して応えた。『日本語学』(明治書院)創刊30周年特集「『日本語学』執筆者100人の歩み」から再掲する。



社会学化する地域語研究ということについて
 以前は音韻が専門だったんですね、と尋ねられた。50を過ぎて知り合った人だった。20代の私は方言の音韻を専門にしていたと言われれば確かにそう。でも心の中では今だってと思う。
 どうも20、30代の私を知っている人から、私は方言の音韻や音響音声学が専門だと思われ、また40を過ぎてからの人には言語意識が専門と思われている節がある。昔からの私を知る人に、こういう研究歴は一所懸命でなく写るのか。私は東北の音韻一筋に40年ですと自己紹介したら、一途な方言研究者として安心感が増すのだろうか。もしそうだったら、いま進行中の「やさしい日本語」研究やソフトパワー研究の落ち着きがとても悪い。専門外なんじゃないの?と思われそうだ。
 翻って私の中での研究志向は20代から一所懸命である。一所はいつも人の集まる所にある。人が集まると人々は居心地の良い表現を求める。よそ者が地域社会にたくさん入ってきたとき、地域社会は円滑に過ごせる表現を求め変容する。その変容過程や地域構成員の異言語変容を説明するのに音韻や音響音声学、言語意識という読み解きのためのツールが必要だった。同じように、ある言語事象に悩んでいる集団があって、その困っている人たちに解決の糸口を示そうとしたら、「やさしい日本語」研究やソフトパワー研究が有効だったのだ。いつだって根底には方言研究や音声研究で学んだ方法論が活きている。
 ここに至って専門性とは、歴史によって研ぎ澄まされた道具のことと気付く。流動する社会や言語を把握しようとするとき、歴史を淘汰してきた道具とは別に、そう道具の使い手である人間に近づく筋道にも配慮せねばならない。
 私の所属する大学院は地域社会研究科と名付けられ、地域社会とその構成員に焦点をあてた研究領域を作った。所属は情報行動講座である。ここでは、ことばの担い手である人間がいつも真ん中にいる。人間の使うことばの受容と変容を知るために在来の専門性を駆使する。でも目的は道具を使うことでなく、社会を構成している人間を知ることである。異言語の受容と自言語のを変容を科学にする。ちょっと居心地の良い研究環境だ。

                                                                                            『日本語学』第31巻14号(2012)明治書院


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