モンペリエと化学

 今年の5月20日は、僕にとって記念すべき日となった。なんと、僕が留学していたモンペリエ市のサッカーチームであるモンペリエ・エロー・スポール・クルブ (Montpellier Héraut Sport Club、以下モンペリエHSC) が、フランスの1部サッカーリーグのリーグ・アンで初めて優勝したのである。モンペリエはフランスでは比較的大きな都市であるが、サッカーチームはそれほど強くなかった。僕が留学していた当時は、モンペリエHSCは2部リーグで低迷していたし、現在でも経済的に恵まれているとは言い難い。モンペリエHSCのオフィシャルショップは僕が住んでいた場所の近くにあったのだが、すごく小ぢんまりとしていて内部は閑散としていたのを今でも覚えている。それが2009年からリーグ・アンに復帰するや、今年ついに初優勝。しかも、イタリアそしてイングランドで優勝経験のある名将カルロ・アンチェロッティ監督率いるパリ・サン=ジェルマンとの接戦を制しての優勝である。ということで、モンペリエHSCのリーグ・アン初優勝を記念して、今回はそのモンペリエと化学について少々。
 モンペリエはフランスの南西部にある都市で、パリからTGVを使って大体3時間半くらいで行ける。この都市で最も有名なものと言えば、モンペリエ大学である。この大学は13世紀に創立され、フランスでは3番目に古い大学でもある。中でも特に医学部が有名で、フランスでは最古の医学部であり、かのノストラダムスやフランソワ・ラブレーもここで医学を学んだらしい。だが、実は医学だけでなく化学でもモンペリエは有名なのである。
 モンペリエは化学史上においてある重要な発見がなされた場所である。それは、臭素Br2の発見である。臭素は、1826年、フランス人のアントワーヌ・バラール(Antoine Balard)により、モンペリエの塩沼に生息する海藻を燃やすことによって得られる灰の中から発見された。ちなみに、発見者のアントワーヌ・バラールもモンペリエ生まれである。実は、臭素の発見は同時期にドイツ人のカール・レーヴィヒ (Carl Löwig) によってもなされていたが、論文の提出ではバラールが先だった。余談だが、ハロゲン単体であるフッ素 F2、塩素 Cl2、臭素 Br2、そしてヨウ素 I2の中で、塩素以外がフランス人によって、歴史上で初めて単離されている。しかも、「ハロゲン」という名称もフランス人により付けられた。ハロゲンの単体はすべて有毒であることを考えれば、「ハロゲン」という名前の命名権がフランス人にあったのも納得できる。
 さらに、かつてモンペリエ大学ではアントワーヌ・ベシャン(Antoine Béchamp)、シャルル・ジェラール(Charles Gerhardt)、そしてマックス・ムスロン(Max Mousseron) などの大化学者が教鞭をとっていた。この中で後者の二人の名前は、モンペリエにある化学の研究所の名前、Institut Charles Gerhardt de Montpellier, そしてInstitut des Biomolécules Max Mousseronの中に今でも見出すことができる。そして現在でも、モンペリエ大学には有名な化学者が多くいる。
 前述したモンペリエ大学医学部は、今ではモンペリエ第一大学となり、その校舎は旧市街にある。この校舎はとても古い威厳のある建物で、観光名所としても知られている。そして、この医学部の道路を挟んだ向かい側に、医学部付属の植物園がある。この植物園も医学部と同様にフランスでは最古である。かの有名なパリ植物園は、このモンペリエ植物園をモデルにしてできたらしい。このモンペリエ植物園の初代所長である、Pierre Richer de Bellevalは植物科学の父として知られており、他の所長たちも植物学に大きく貢献した人たちである。医学部付属の植物園ということで、栽培されている植物は薬用植物がメインだったのかもしれない。薬用植物の研究となると、その薬用成分の研究となり、これは化学の領域である。モンペリエで化学研究が盛んになったのも、ここに端を発するのかもしれない。また余談だが、パリ植物園の方では、シャルルの法則で有名なジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック(Joseph Louis Gay-Lussac)などの大化学者などが研究を行っており、フランス人は植物園で化学を研究するのが好きなのかもしれない。
 ちなみに、このモンペリエ植物園には無料で入ることができ、僕も一度だけ訪れたことがある。フランスということで優雅な庭園を想像していたが、全くそうではない。きれいな花壇なんてものはなく、崩れかけた土塀を想像させる仕切の中に、いろんな植物が雑草のように乱雑に生い茂っている。しかもそこの植物の中には、毒々しい色をした怪しい形のものが多い。パリ植物園を王家の庭園とするなら、モンペリエ植物園の方は荒れ果てた古代遺跡である。もっとも、僕はこの植物園の独特の雰囲気が好きなのだが。これからモンペリエに行く人は、是非、この町の化学発祥(?)の地である植物園を訪れて欲しい。